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2025年 年間聖句

「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。」 
ルカの福音書6章38節

バイブルメッセージ 7月

 旧約聖書の物語です。イサクとリベカという夫婦にエサウとヤコブという二人の息子がいました。エサウは猟をする活動的な人で、ヤコブは穏やかな人でした。しかし、この家族は機能不全家族でした。父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛していた、と書かれています。イサクの死が近づいたとき、イサクは長男エサウに祝福を与えようとしますが、リベカはヤコブにその祝福を横取りするよう入れ知恵をします。イサクが喜ぶおいしい料理を作り、ヤコブにエサウのふりをして持って行かせたのです。イサクは年をとって目がよく見えなかったので、毛深いエサウに似せるため子ヤギの毛皮を腕と首に巻き付け、エサウの晴れ着を着たヤコブをエサウと間違え、祝福を与えてしまうのでした。それを知ったエサウは怒ります。ここから長きにわたる兄弟の確執が続きます。

 

エサウの復讐から逃げるヤコブは旅を続けて、ラケルという女性を好きになります。ラケルの父はラバンという人で、ラケルを妻として迎えるため、自分のところで7年間働くようにと言いました。ラケルを愛していたヤコブにとって7年間はあっという間でした。祝宴のあとヤコブはラバンが連れてきた花嫁と一晩過ごしますが、朝になってみると、なんとそれはラケルではなく、姉のレアだったのです。ヤコブは怒ります。ラバンは自分たちの土地では、妹を姉より先に嫁がせることはないのだ、ラケルのためにもう7年間私のもとで働きなさい、と言うのでした。

 

 だました者がだまされる、悪を行った者は悪で報いられる、そういうストーリーのようにも読めます。しかし、この兄をだましたヤコブという人が、やがてイスラエル12部族の父となっていくのです。神は確かに正しいお方で、悪を見過ごしにされません。しかし、同時に神はご自身が愛する者に、叱責を与えつつ、育ててくださるお方です。神様は人間的にはけっして品行方正とは言えないヤコブを一歩一歩導かれるのです。

 

 神を信じて生きるとは、この神の愛の導きに身をゆだねていくことです。神に愛されている人とは必ずしも品行方正な人ではありません。むしろ、主イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マルコ2:17)と言われました。なにを基準にして生きて行ったらよいのかわかりにくい時代に私たちは生きています。しかし、この聖書の神に従っていく歩みは、安全で確かです。

 

(顧問牧師 菅家庄一郎)

日々のみことば

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